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あと1日… 魚津城
2010年09月30日 (木) | 編集 |

魚津市(富山県)を歩く♪


歴史にもしも… と言う言葉を使ってしまえば、

    キリがありませんが、この富山県魚津市にある 魚津城址 に来ると、

   きっと誰もが 「もしも…」 って言葉を口にしてしまうと思います。

        そう(・o・) ここは戦国時代に織田軍と上杉軍との戦のあった地なのです。




柴田勝家を中心とする織田勢4万人に対して、

    上杉勢は3800人… 上杉謙信は既に亡く

   隣接していた武田は既に織田に滅ぼされ、織田勢に囲まれ援軍の出せない上杉軍は、

       魚津城のわずか3800人で、4万の軍勢を防がないといけませんでした (・o・)




どう考えても勝てるはずのない戦い…




それでも魚津城の上杉軍は篭城戦を展開し、

    開戦から3ヶ月後もの間、何とか持ちこたえていたけれど、

  6月3日に、ついに守将13人が自刃して果て、魚津城は落城してしまいます。




6月3日…  実は…

    その前日の6月2日に京都の本能寺で織田信長は明智光秀に討たれており、

  魚津城を攻めていた織田軍にその急報が入ったのが6月4日 (゜゜)

      もしも… あと1日持ちこたえていたら、 守将自刃の悲劇は起きなかったかもしれません。




現在、この魚津城は当時の面影は一切なく、

    大町小学校の中に 「魚津城」 と書かれた石碑があり、

   また 「ときわの松」 と呼ばれる松の木がありますが、

      これはかつて上杉謙信が植えたと言われていた松の木の2代目で、


 この松の木の下には、

    「武士(もののふ)の よろいの袖を かたしきて 枕に近き はつかりの声」

       と、かつて上杉謙信が詠んだとされる歌碑も置かれています。




歴史に 「もしも…」 を言っても仕方ないと知りながらも、

   3ヶ月持ちこたえて、あと1日持ちこたえていたら…

       と聞いてしまうと、やっぱり 「もしも」 と言ってしまいますね。 (゜゜)

    


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「魚津城址」
場所:富山県魚津市本町一丁目 (現、大町小学校) 地図はココをクリック
    魚津市のホームページ



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テーマ:国内、史跡・名勝巡り
ジャンル:旅行
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