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岐路に立ったら参詣しよう!闘鶏神社
2010年11月23日 (火) | 編集 |

田辺市(和歌山県)を探索♪


武蔵坊弁慶は一説によると、和歌山県田辺市が生誕の地と言われています♪

    この弁慶、父の名前は湛増(たんぞう)と言い、

  母は湛増が二位大納言から強奪した姫だそうです (・o・)

        そんな両親から生まれた弁慶は、母の胎内に18ヶ月もいたそうで…




生まれたときには2・3歳児の体つきで、

    しかも髪は肩を隠すほど伸び、奥歯も前歯も生えそろっていたとか!!

  父はこれは鬼子だとして殺そうとしたが、

       叔母に引き取られて鬼若と命名され、京で育てられた。そんな伝説が残っています!




豪傑と言われた弁慶らしい出生の逸話ですが、

   この話だけを聞くと弁慶の父(湛増)って、何だか心ない人に感じられてしまいますね…

  実際は、どんな人物であったのかは分かりませんが、

      ここ田辺市の 闘雞神社(とうけいじんじゃ) に来てみると、

          弁慶と湛増の親子の像を見る事が出来ます (^◇^)
 



闘鶏神社って、少し珍しい名前の神社ですが、

    実はココ!!かつて源平合戦の時、熊野水軍(現和歌山県にいた海賊の事)が

  源氏側に付くか、平家側に付くかで勝敗の行方が大きくかかわっており、

       弁慶の父、湛増は息子の為、この場所で鶏を赤と白に分けて戦わせ、




白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決めさせたそうです (・o・)

     かなりの博打にも聞こえる話ですが、殆ど平家側に傾いていた熊野水軍を

   源氏に味方させた功績は非常に大きいと言えるでしょう♪

        我が子に対する親の思いが、そうさせたのかもしれませんね (*^。^*)




そんな 「闘鶏神社」 ですが、ここは熊野街道の大辺路・中辺路の分岐点でもあったので、

    熊野三山の全ての祭神を祀る熊野の別宮的な存在で、

   ここに参詣して熊野まで行かずに引き返す人々も多くいたそうです。




ここが拝殿ですね♪




そして境内の中には、弁慶社もあります。




源平の合戦の勝敗の行方を決めた場所… 

    もし湛増が熊野水軍を動かしてなかったら、今の歴史は全てが変わっていたかもしれません。

  そんな大きな歴史の分岐点に道を作った場所でもある闘鶏神社は、

      人生の岐路に立った時、参拝すると、何かヒントが浮かぶかもしれませんね (^_-)-☆



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「闘鶏神社」
場所:和歌山県田辺市  地図はココをクリック
    参考のホームページ



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テーマ:国内、史跡・名勝巡り
ジャンル:旅行
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