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滋賀県近江八幡市で豊臣秀次像を発見♪
2011年10月01日 (土) | 編集 |

近江八幡市(滋賀県)で「八幡公園」を探索♪


近江商人で有名な近江八幡の町を作り上げた 「豊臣秀次」 ゆかりの地に来てみました♪ (^◇^)

    彼は豊臣秀吉の姉の子として生まれ、なかなか子供の恵まれなかった秀吉の養子となり、

   そして関白の立場にまで出世しますが、しかし…

      彼は秀吉から切腹を命じられ、妻子ももぼ全員処刑されてしまいます。




近江八幡に来ると、ロープウェイで登ることが出来る八幡山こそが、豊臣秀次が築いた城。

   その山頂にある瑞龍寺の本殿の中にも秀次像がありますが、

      この山の麓にある 「八幡公園」 の静かな場所に… 




ほら♪(*^。^*) 豊臣秀次像がありました (^_-)-☆




彼は18歳の時に、43万石を与えられ、八幡城を築き、

   その城下町として、近江八幡の町づくりを着工していきます。

  城の周りには防御の為の 「堀」 としてだけでなく、

      商業の発展を見通し、琵琶湖につながる運河となるように堀をつくります。


また職業別に住む場所を分けたり、陸上交通にも力を入れたりも

    有力な商品や職人を呼び集め、楽市楽座を認め自由商業都市として町を繁栄させます。




よく平凡な人物だった… 無能だった… など表現される事が多いけど、

    最近の研究では、かなり優秀な人材だったと見直され始めています。

  そんな優秀な人物がどうして殺されなくてはいけなかったのか?しかも関白と言う立場であるのに…

      また妻子一族ほどんどが処刑されてしまうほど惨い末路となります。
   



様々な説があり、全てが仮説にしかすぎませんが、

    豊臣秀吉に秀頼が誕生し、その秀頼可愛さに秀吉が後継者を決める為に、

   また淀殿(秀頼の生母)による陰謀説が有名ですね。ただいずれにせよ、

       豊臣秀次を処罰した事は、豊臣家滅亡の引き金の始まりだったのかもしれません。



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「八幡山公園」

場所:滋賀県近江八幡市宮内町 地図はココをクリック
    八幡山、参考ホームページ




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テーマ:国内、史跡・名勝巡り
ジャンル:旅行
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