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三光神社で大阪城への抜け穴発見!(^◇^)
2011年10月16日 (日) | 編集 |

大阪市天王寺区(大阪府)で「三光神社」を探索♪


戦国時代などを中心に歴史好きなら、一度は来てみたい場所!

   ここは、玉造の駅から歩いてスグの場所にある 三光神社 \(^o^)/

  この神社の一体何が有名かと言えば、

      戦国時代の武将で最も人気ある 「真田幸村」 のゆかりの地なのです (^_-)-☆




豊臣秀吉がこの世を去り、関ヶ原で徳川家康が石田三成を倒してから、

   徐々に豊臣の時代から、徳川の時代に移ろうとしていきます。そんな状況下で…

  1614年、ついに豊臣と徳川は戦になってしまいます。

      最初に起きたのが 「大阪冬の陣」 と言う戦いですね。




豊臣秀吉が築いた大坂城は周囲を淀川、大和川などに守られた堅城でしたが、

    唯一、防御面で手薄な場所と言えば… 南側の平坦な台地部分でした。(・o・)

  もし徳川軍が攻めるなら、この場所に違いないと、

      真田幸村は、この地に 「真田丸」 と呼ばれる砦を築き、徳川軍を打ち破ります。 


あ、そうそう(*^。^*) この階段を登ると、




三光神社の本殿ですね。




真田幸村と言う人物は、優秀な人物でしたが、

    あまり豊臣家には深く信用されない面があり、幸村の意見は重要視されませんでした。

  もし彼の策を信頼していたら… その後の歴史はどうなっていたか分かりません ヘ( ̄ー ̄)ノ

       
まぁ~、結果としては、真田幸村は戦に勝利しますが、

   徳川軍の大砲による威嚇などに怖れ、豊臣家は和議を結び…

      その和議が、徐々に豊臣家を滅亡に導いていくことになります。


そんな 「真田幸村」 が大阪城の抜け穴を作っていた伝説があるんですよ!

   その伝説になっている、「抜け穴の出口」 と言うのが、ココなんです \(◎o◎)/!




むむむむむ(p_-) 中が気になる。




少し、中を覗くのは怖いけど…

   思い切って、覗いて見ることに!




そして、写真まで撮ってみました (^o^)丿

   う~ん(p_-) この 「抜け穴」 の中は、もう埋まってしまって奥まで行けないようです。

      この穴… 近づくと 「蚊」 の襲撃にあうので要注意 (笑) 




この 「穴」 に関して、別の説として、こんな説もあります! 

    それは… 実はこの穴は 「真田幸村」 が作ったものではなく、

   徳川家康が、あまりに巨大な堀を構える大阪城の攻撃に手を焼き、

       あらゆる場所に穴を掘り、地下から攻め込もうとした跡だともの!




そして、徳川軍はその穴の奥に爆弾を仕掛け、地下から城を攻撃するぞ!

   そんな噂を流し、豊臣方を怖がらせたと言う話もあるそうな (・o・)

      だから中途半端な和議を結んでしまったのかもしれませんね。




さてさて、実際に何の目的で作られた 「穴」 なのかは分かってないそうですが、

    ただ分かっているには、この地で 「真田幸村」 が砦を作ったこと、

  そして、徳川軍を打ち破ったことは、間違いないようです。

      戦国時代のヒーロー的存在の真田幸村、この地に銅像が立っています♪




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「三光神社」

場所:大阪府大阪市天王寺区玉造本町14-90 地図はココをクリック
電話:06-6761-0372
    参考になるホームページ



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テーマ:国内、史跡・名勝巡り
ジャンル:旅行
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