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岐阜城落城… そして御手洗(みたらし)池の河童伝説。
2012年03月20日 (火) | 編集 |

岐阜市(岐阜県)で「岐阜城周辺」を探索


岐阜城と言えば、織田信長が天下を目指した城として

   どちらかと言えば華やかな印象の方が強いですが、落城と言う悲しい側面もあるんです (・o・)

  つまり、信長が本能寺で倒れ、秀吉の時代となり、

     その後、関ヶ原の合戦が起きますが、その前哨戦として岐阜城は落城してしまいます。




織田信長の嫡男は信忠と言う人物で、

   彼は信長が本能寺で倒れた時、時を同じくして二条城で命を落とします。

  よく時代劇を見ていると、秀吉がその後の天下を掌握するために

     利用した幼い子供が出て来ますが、その子供こそ、信忠の嫡男、つまり信長の孫ですね。

        彼の名前は三法師、後の織田秀信です (* ̄∇ ̄)ノ




信長、信忠が倒された時、三法師(後の織田信秀)はまだ約3歳、

    当時の彼は秀吉に利用されるしか生きる術はなかったのでしょう。

   利用… つい、そんな言葉を使いたくなりますが、

      この岐阜城にある 御手洗(みたらし)池 に来ると、ふと感じる事は…




関ヶ原の合戦で、織田信秀は徳川家康ではなく、

   石田三成側に着いたんだ… って事です。つまり豊臣側ですよね。そうなると、

     「利用されたと言う恨みではなく、織田秀信は豊臣家に恩義を感じてたんだ」 って事。


  どうゆうことかと言えば、関ヶ原の合戦の際、織田信秀は西軍(つまり石田三成に味方)し、

    この岐阜城でも激しい攻防戦がありました。結果… わずか一日で落城してしまいますが
    
      敵将として戦った福島正則が 「さすが信長の嫡孫也」 と秀信を称えたとか!

    いずれにせよ結果、この池に多くの人が身を投げて亡くなったらしく

       ここは岐阜城の裏手にあるとても悲しい場所なのです。


この御手洗池の奥にある道を歩いて行くと…




実は人知れず、河童を祀る場所が!

   この賽銭箱、可愛いでしょ (* ̄∇ ̄)ノ




河童とは伝説上の動物、いや妖怪で、日本各地に河童伝説が残っていますが、

   一般論として、河童の正体は、水死体であると推定されることが多いようです。

 水死体は、皮膚は緑色をしており、頭髪がすり減っており

     体は膨張していることもあり、これが河童の甲羅に見誤られた可能性もあるらしい。




岐阜城が落城する時、この上の崖から多くの方が身を投げたとのこと…

    つまり、水死体が浮かぶようなところは子供には危険なので、

  「そこでは妖怪が出るので近づくな」 と子供たちに警告するために、

       妖怪だという言い伝えができたとすれば、少し想像するのが怖いですね。




とは言いながらも、私は河童の存在を信じています (笑)

   全てにおいて事実は分からないけど、やっぱり歴史や伝説は面白い。

  岐阜城の落城と河童伝説…

     きっと全く何も関係ないと思いますが、重ねて書いてみました (^^ゞ



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テーマ:国内、史跡・名勝巡り
ジャンル:旅行
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